月美の卑屈を生きる詩

感情のおもむくままに

今日は死ぬのに最適な一日

……ずっと昔、私がまだ若かった頃、なしくずし的に一緒にいた男に本命の彼女を紹介されたことがある……男の上司とも関係のあった女の人だが、離婚して二人の子供を抱えて昼は会社勤め、週末の夜はクラブでコンパニオンをして生活していた。
「お客さんは靴見るよ。これあげるわ」
彼女は住んでいる団地の玄関脇のシューズケースから光沢のある銀のヒールを笑顔ではい、と渡してくれた。彼女はいつもニコニコしていた。子供達も。
固定電話が鳴る。
「はい、ええ、私そういうのは……」
受話器を置いたあと、彼女は
和室の畳のうえに仰向けに寝っ転がり、額に左手をやった。
「社長が愛人にならへんか、ってしつこかったから断った。もう会社行かれへん。今月の家賃どうしよう……」
額に置いた彼女の手。手首がミミズが這ったように膨らんでいる。
「これなあ」すっと起き上がってにっこりしながら彼女は手首の傷を私の前に差しだした。
「男に二百万円騙しとられてん。お風呂場で切ったんやけど、痛くなかってんで。チビが見つけて警察に通報してな、〝子供のいる前でやらないでください!〟って怒られたわ」三十歳をすぎて小皺もなくつるっとした肌で目を細めて大きく笑う。
男が車の中で言った言葉が脳裏をかすめる。「元は俺の上司の女だったんだぜ。クラブで客として知り合ったんだ。表向きは不動産会社役員ってことになってるからな。絶対言うなよ」
「〇さんの会社、もうすぐ旗揚げするらしいよ」やばい言葉が思わず口をついて出た。
「〇さん、そんなんじゃないわ」
声のトーンを落として私をじっと見据えて返事をした。怖い。もうそれ以上何も言えなかった。
……彼女の家の客間で、隣から声がして目覚める。
「もっと優しくしてやりいや!」
「俺、あいつと付き合ってないよ」
「ならよけい優しくしてやりいや!他の男はもっと優しいで!あんなに痩せて、処方薬持って!」……
翌朝、帰りの車のなかで男が呟いた。
「あいつとはマジで付き合ってる。俺らの正体をあんまりばらすなよ。信じてなかったから許すけど……それからこれでわかったろ、女は顔じゃなくてハートだぞ」
あちこち顔をいじってもブスだと日ごろ愚痴っている私に男はあてつけた。
「……うん、〇ちゃん好き」
「あの子は人間できてるよ」
見知らぬ男から暴行を受けて一月かそこら、夏の陽はさらに輝いてフロントガラス越しに
私達を射した。
「昨日は楽しかった。あんなに親切にしてもらって、幸せ」
男はふっと笑ってハンドルを持って呟いた。
「今日は死ぬのに最適な一日」……